色々。

思ったことを書く。

何かを応援すること

  前回のイッテQでのイモトアヤコさんの安室奈美恵さんに対する態度がネット上で話題になった。私も放送を見たが、確かに何かのファンであったり、誰かを愛してる人であれば間違いなく共感出来たと思う。彼女の行動は、一方的な好意の押し付けではなく、敬意を払ったものであり、本人を目の前にして自然とこのような行動が出来るのはやはり見習うべきだろう。

以上。

読書感想文による読書離れ

  読書感想文はハッキリ言って読書離れを進める大きな要因である。

  そもそもあまり読書をしないような子供が本を読んで感想を書いてこいなんて言われたら苦痛でしかない。また、読書感想文を行うことによってどうしても本の感想を他人に伝えるための物にしてしまいがちになり、感想ありきのとても自由とは言えない読書となり得るだろう。このような可能性を孕んでいるにも関わらず何故感想文など書かなければならないのだろうか。言葉にすると劣化することが多いのに。

 

以上。

アルツハイマーになったら

  もしアルツハイマーなったら、私は迷惑をかけない方法でこの世から消えたいと思う。それが最善の策だと感じている。自らの恥を晒さずに済むし、何より近隣の方々の迷惑にならずに済むからだ。同様に、末期の癌などにもなったら、安楽死(もしくは失踪)をして惨めを晒さずにしたいと思う。生きている以上万物には終わりが来る。それを受け入れられずにチンタラ生きているのは死以下の下策である。私は最近の生命至上主義も正直どうかと感じる。行き過ぎではないのか。と。

以上。

哲学≒考え

  人生哲学、勝利の哲学等、この世にはあらゆる哲学が蔓延っている。哲学に関して私は池田さんの「帰ってきたソクラテス」シリーズしか読んでいない無知であるが、これら哲学というのは、哲学と呼ぶものではない。「考え」もしくは「考え方」と呼ぶものだろう。そもそも「哲学」というのは「知を愛する」との意味合を持つギリシア語から来ている(ブリタニカ百科事典より)。従って人生哲学のような使い方は誤用であると感じる。

  以上。